カール・マルクス


「資本論」 (第1巻)

 

訳者  宮 崎 恭 一

(1887年にイギリスで発行された版に基づく)

 

 

 

カール・マルクス

資 本 論


第一巻 資本の生産過程

第一篇 商品と貨幣

第二章 交 換




 (1 ) 当たり前のことだが、商品は市場に行くことはできない、また自分の勘定で交換をすることもできない。従って、それらの保護者、またそれらの所有者でもあるが、に、頼らなければならない。商品は、ものであって、従って、人間に逆らう力は持っていない。もしそれらが従順を求めているなら、人は力を使うことができる。別の言葉で云えば、それらを入手することができる。
 これらの物を商品として、他と互いの関係に入れて貰うためには、それらの保護者は、自分自身を他との関係に置かなければならない。それらの物に属している人物として、それなりに振る舞わなければならない。他人の商品に勝手をしてはいけないし、自分のものからは離れない。ただ例外は、お互い双方の合意によって、何かをすることはできる。従って、彼等は、私的な所有者としての権利を、双方とも互いに認めなければならない。この法律上の関係は、契約ということで表されるが、その契約が、発展した法的システムであるかどうかはともかく、二人の意志の関係となる。これこそ、二人の間の実際の経済的関係の投影に他ならない。この経済的関係が、互いの、法律条項で構成される主題内容を決めている。

 (2 ) 人は、互いに、商品の代表者、従って、所有者としてのみ存在している。我々の考察は、いずれこの先、この経済的段階で見せる性格が、彼等の間に存在する経済的関係の擬人化であること見つけるであろう。  

 (3 ) 商品をその所有者から分かつ筆頭のものは、この事実である。商品は、他の商品を、自身の価値の外観的形式としか見ていない。この生まれながらにしての平等主義者でかつ冷笑主義者は、常に、他のどんなかつすべてとの交換に対して準備が済んでいる。心も体も。マリトルネスと同じで、いや彼女よりも品がない。所有者は、商品の具体的な意図とその欠けているところを彼自身の五感ないしそれ以上の感覚で、補うことになる。彼の商品は彼にとっては、差し当たっての使用価値は持っていない。そうでなければ、市場へ持ってはいかないだろう。それは他人のための使用価値を持っている。だが、彼自身にとってみれば、ただ、交換価値を保管しているという直接的使用価値である。であるから、交換のためのものである。そこで、彼は、彼にとってなにかと使える価値がある商品のために、それを手放す決心をする。
 全ての商品は、それらの所有者にとっては、使用価値が無い、使用価値は所有者以外のためのものである。であるから、それらは全て持ち手を変えなければならない。だが、この持ち手を変えるということは、それらの交換を意味する。交換とは、それぞれを、互いに他との、価値としての関係に置く。かくて、それぞれは価値となる。このことから、商品は、使用価値として実現される前に、価値として実現されねばならない。

 (4 ) 一方、それらは、それらが価値として実現されることができる前に、使用価値であることを示さなければならない。それに費やした労働がどれほどのものか、ただ、他人にとって有用な形式で費やされたものかどうかという限りで、実際に吟味されるからである。その労働が他人に有用であったかどうか、そしてその生産物がその結果、他人の欲求を満足し得るものであるかどうか、ということが、交換の行為によってのみ、証明されることができる。     

 (5 ) 全ての商品の所有者は、交換によって、それが彼のある欲求を満足させる使用価値である商品であるかぎりで、自らのそれを手放したいと望んでいる。このやりとりを見れば、交換は彼にとって、単純な私的な取引である。だが他方、彼は、彼自身の商品が他の所有者にとって、なんらかの使用価値を持っているか、持っていないかに係わらず、彼の商品の価値の実現を望んでおり、それを他の適切な等価の商品に変換したいと望んでいる。この点から見れば、彼にとって、交換は一般的な性格の社会的やりとりである。しかし、この例の、そしておなじようなやりとりでは、全ての商品所有者に対して、同時に、全く私的な取引であり、かつ全く社会的で一般的な取引であることはできない。

 (6 ) このことを、もう少し拡大して見てみよう。商品の所有者にとっては、他の全ての商品は、彼の所有する商品から見れば、特定の等価であり、従って、彼の商品は、他の全ての商品の世界等価である。しかし、これを全ての所有者に適用すると、事実上、そこには世界通貨を演じる商品はない。また、それら商品の相対的価値は、それらが価値として等価となることができるとか、それらの価値の大きさを較べられるとかの、一般的形式を、持っていない。そこでは、だから、それらは、商品として互いに対面してはいない。ただ、生産物または使用価値としてだけである。我等が商品の所有者、彼等は困難に陥り、ファウストのように考える。「初めに、行動があった」(Im Anfang war die That :ドイツ語)と。だから、彼等は考える前に行動し取引した。本能的に、彼等は、商品の自然的性状につり込まれたような法に従う。彼等は、彼等の商品を価値の関係に持ち込むことができないし、だから商品として、どれか他の商品と較べることだけで、どれか他の商品と世界等価としての関係にも持ち込めない。我々は一商品の考察からその事を見ている。特定の商品といえども、社会的行為なくしては、世界等価となることはできない。従って、他の全ての商品の社会的行動が、ある特定の商品を隔離して、それによって彼等の全ての価値を表す。それで、この商品の物体的形が社会的に世界等価と認められるものとなる。この社会的な過程を経て、世界等価となった特別な機能を有する商品は、他の全てから排除されて、すなわち、−貨幣となる。「彼等は同一の計略をなし、己が能力と権威を獣に渡さん(ヨハネ黙示録17章13 Illi unum consilium habent et virtutem et potestatem suam bestiae tradunt.) この印章もしくはその名の数をしるされた人々の他、売り買いすることを得ざらしめたり」(ヨハネ黙示録13章17 Et ne quis posit emere aut vendere, nisi qui habet characterem aut nomen bestiae aut numerum nominis ejus.)( Apocalypse : 新約聖書ヨハネ黙示録)  

  (7 ) 貨幣は、交換の過程でその必要性が形をなした結晶である。それによって、労働の様々な生産物が、実際に、互いを同等とされ、従って、商品に変換される。歴史的な進展と交換の拡大が、商品に隠れていた使用価値と価値の間の対照性をも発展させる。この対照性に、外から見えるような表現を与える必要性が、商売上のやりとりのためにも、独立した価値形式の確立が、急務となる。そして、商品が、商品と貨幣に分化することで、皆がそれに満足するまで、休止がないのを見る。また、これと同じ速度で、生産物の商品への変換が完成する。同様に、ある特別の商品の貨幣への変換も完成する。  

 (8 ) 生産物間の直接的物々交換は、相対的価値表現の最初に出会った形式を、一面では持っているが、他の面では持っていない。その形式は、x量の商品A = y量の商品B である。この形で直接的物々交換を表せば、x量の使用価値A = y量の使用価値Bとなろう。この場合の品物AとBは、商品になりきってはおらず、単なる物々交換の行為となっただけである。有用な物が交換価値の取得に目を向ける最初の一歩は、その所有者にとって、使用価値でなくなる場合、彼の当面の欲求を求めているある品物が多少余分なものとなる場合である。物は物として人の外にあり、当然ながら、彼にとっては譲渡し得る。この譲渡のためには、ただひとつ、双方とも、これらの譲渡可能な物の私的な所有者として、暗黙の了解のもと、独立した個人としての密接な関係をもって、お互いに相手を処遇しあうことが必要なのである。
 しかし、このような相互的独立の状態は、共用的特質を基本とする初期的な社会には存在しない。その社会が、家長制家族の形であろうと、古代インド共同体や、ペルー人のインカ帝国であろうと、そこにはない。商品の交換は、だからこそ、その最初は、このような共同体の境界線ではじまる。他の似たような共同体との接触点である。または、その共同体のメンバーとの接触点である。生産物が共同体関係の外部で商品となれば、直ぐに、共同体内部でも、その反作用を受けて生産物が商品となる。交換できる物の割合は、最初は全く偶然のでき事である。それらを交換できる物にするのは、それらを譲渡しようとする所有者達の相互の欲望である。そうこうするうちに、異質の有用な物に対する必要性を、次第に、確信するようになる。定常的な交換の繰り返しが、交換を通常の社会的行動となす。従って、この経過のうちに、少なくとも、労働の生産物のある割合は、交換という特別の観点から生産されるに違いない。そしてこの瞬間から、消費のための物である有用性と、交換のための有用性との区別が、明確に確立される。その使用価値は、その交換価値から識別されたものとなる。一方、その品物が交換される量的比率は、彼等の生産そのものに依存するようになる。習慣が、それらに、ある大きさの価値をスタンプする。  

 (9 ) 生産物の直接的物々交換では、各商品は、所有者にとっては、交換手段である。そして、他の全ての人にとっては、当然ながらそれが彼等にとって使用価値がある限りで、等価である。だが、この段階では、交換された品物は、それらの使用価値、または交換者の個々の必要性から独立した価値形式を得てはいない。価値形式の必要性が、交換される商品の数と種類の増大とともに大きくなる。問題とその解決方法が、自生的に発生する。
 違った所有者に属する、違った種類の商品が、ある同じような特別の品物と、交換の可能性がなく、価値として等価とすることができないならば、商品−所有者達は、彼等自身の商品と他のそれとを同等とすることはできなかったし、また、大規模にそれらの交換もできなかった。この特別の品物は、他の様々な商品の等価となることによって、狭い制限内にも係わらず、一般的で社会的な等価の性格を直ちに獲得する。この性格は、つかの間の社会的行為によって実際に生じるが、だからまた直ぐに表れ、直ぐに去る。その時その瞬間、その性格は、最初はこの商品に、次にはあの商品にと付着する。しかし、交換の発展にともなって、特定の種類の商品に、排他的に、強固に固着する、そして、貨幣−形式として認められることで、貨幣結晶となる。それが張り付く特定の種類の商品は、最初は偶然のでき事である。とはいえ、決定的な影響を及ぼす事情は、二つある。貨幣−形式は、まず、外からの最も重要な交換品目に取りつく。そしてこの事実は、地元の生産物の交換価値が表現を見出す初期的で自然な形式であることを示す。また他には、主要な持ち分でもある、生まれながらの譲渡可能な富、牧畜牛のような、有用な物に取りつく。遊牧民族が、最初に、貨幣−形式を発展させた。なぜならば、彼等の全ての世界的な品物は可動な物からなっており、だから、直接的に譲渡可能なのである。そして、彼等の生活様式だからである。次々と、それらを他の共同体との折衝を求めて運び、生産物の交換を懇請する。人は度々、人自身を、奴隷形式として、貨幣の初期材料として使って来た。しかし、土地をこの目的として使ったことはいまだかってなかった。このような発想は、すでによく発達したブルジョワ社会でのみ発現し得た。それは17世紀も2/3を経過した頃からはじまり、国家的な規模で最初に実行が意図されたのは、さらに1世紀後のフランスブルジョワ革命の頃である。  

 (10 ) 交換が、地方的な枠を突き破るに比例して、商品の価値が子細を捨象した人間の労働の体現へとより一層拡大した。また同じく比例して、貨幣の性格が、商品に張り付いた。世界等価の社会的機能を行うに適した自然の物に、それらの商品は貴金属である。  

 (11 ) 「黄金や銀は、自然に貨幣とはならないが、貨幣は自然に黄金や銀となる」この主張の正しさは、これら金属の物理的特質が、貨幣の機能によく適合していることで、示されている。とはいえ、我々は、この点については、ただ一つの貨幣の機能しか分かっていない。すなわち、商品の価値の表明形式としてであり、それらの価値の大きさが社会的に表されるものとしてである。価値の表明形式として不足はなく、子細を捨象した、差異のない、従って均一な人間の労働の体現に対しても適切で、その材料は、それのみで、それらのどこを取っても、同じ一様な質を示すことができる。さらにもう一つ、価値の大きさの違いは、純粋に量的なものであり、貨幣商品は、量だけの違いに敏感でなければならない。従って、意図に応じて、細分化できなければならず、また同様、再結合化できなければならない。黄金や銀は、これらの特質を自然に持っている。

 (12 )貨幣商品の使用価値は、二重となる。その商品の特別な使用価値(金、例えば、歯科用とか、奢侈品の素材としてとか、その他)に加えて、特別な社会的機能をもたらす形式的な使用価値である。

 (13 )以後、全ての商品はただ、貨幣の特定な等価である。貨幣がそれらの世界等価となれば、それらは、貨幣を世界等価と見なす以上、特定の商品群の一部を演じる。  

 (14 )我々は、貨幣形式が、一つの商品の上に投げかけられた、残り全ての価値関係のささいな反射作用であるというのを見て来た。そこで、貨幣は商品である、という新たな発見をした者は、単に、十分に発展した形からこれを見て、そう分析しているに過ぎない。交換の行為が、商品に、貨幣への変換を与えたのである。その価値を与えたのではない。与えたものは、特別の価値の形式なのである。この二つの明確な概念を混同するある著作者は、黄金や銀の価値は想像上のものであると思い込まされたりする。貨幣はある一定の機能において、それ自身の単なるシンボルに置き換えができるという事実が、貨幣は単なるシンボルであるという間違った考え方の原因を与える。このような錯誤が、ある物の貨幣形式はその物から分離不能ではないという感触をもぐり込ませるかもしれないが、にもかかわらず、それは、それによって、社会的関係を表明するある一定の社会的関係の単純な形式なのである。
 この感覚なら、全ての商品もまたシンボルとなろう。なぜなら、それはまさに価値の範疇であり、人間の労働がそのものに費やされた ただの物的外形だからである。だが、もしそういうことなら、その物に社会的性格が付与されているとか、ある明確な生産様式体制のもとになされた社会的性質をもつ労働に物的な形が付与されているとか云うのも、単なるシンボルとなるが、その同じ息から、これらの性格は、人類の いはば 世界的同意によって認められた勝手な虚構であると云っていることになる。この文句は、18世紀によく云われた表現様式に似合う。人と人の社会的関係が作り出したこの謎の形式の発端が説明できなかったために、人々は、その奇妙な外観を取り外すために、都合に合わせた発端を付与しようと探し求めたのである。

 (15 )すでに、前に述べたように、商品の等価形式は、その価値の大きさを決めることを意味しない。従って、我々が、黄金が貨幣であり、その結果として、他の全ての商品と直接的に交換可能であると、知っているとしても、だからといって、例をあげるなら、10ポンドの黄金の価値がどれほどのものかは、事実、依然として語ってはいない。貨幣は、他の様々な商品と同様、自らの価値の大きさを、他の商品との相対的な比較以外では、表すことができない。この価値は、その生産に必要な労働時間によって決められる、そして、同じ労働時間を費やす他のある商品の量で表される。この様なその相対的価値の量的決定は、その生産現場での物々交換によってなされる。貨幣として循環に投入されれば、その価値はすでに与えられたものとなる。17世紀最後の10年間には、貨幣は商品とすでに見られていた、だが、この段階では、初期的な分析しか記されていない。その困難性は、貨幣が商品であるという理解の点にあるのではなく、どの様にして、何故、そして、何が、商品を貨幣としたのかにある。     

 (16 )我々は、すでに、最も初めの頃の価値の表現から見ている。
 x量の商品A = y量の商品B である。ある物が、その内に、ある価値の大きさの他の物が該当すると表されており、これらの関係から独立して、等価形式を持つとして現われる。あたかも、社会的な特質が自然によって与えられたごとくに。我々は、この偽りの外観を、その最終的な確立に至るまで、追いかけてみよう。ある特定の商品の物体としての形が、世界等価形式となるやいなや、その確立が完成し、そしてかくて、貨幣形式へと結晶させられる。なにが起こったのかは、以下の通りである。全ての他の商品がそれらの価値をその中に表現しようとする結果として、黄金が貨幣となったのではない。逆であって、全ての他の商品が世界的に、それらの価値を黄金で表す、それが貨幣だからである。この過程の中間段階は、結果の中に消え、なんの痕跡も後に残さない。商品は、何一つ主導権を行使することもなく、それら自身の価値がすでに完全に表されているのを、他の商品群の並びの中の一員として見つける。これらの物、黄金と銀は、地の内から現われた時から、立ちどころに、全ての人間の労働を、直接的に具体化するものとなった。よって貨幣の魔術なのである。
 社会の形式の中で、今考えて見れば、人の行いは生産の社会的過程の中では、純粋に原子的なものである。生産における相互の関係は、彼等の制御と個々人の意識的な行動からは切り離された、素材的性格のようにみえる。この事実が、最初は、生産物に現われる。一般的規則が商品の形式を執るかの如く。我々は、どの様にして、商品生産者の社会の際立った発展がその特権的商品に、貨幣の性格を刻印したかを 見て来た。以後、貨幣の謎は、商品の謎となった。まさに、それは、今、最もまばゆいばかりの形式で、我々を撃つ。



  読者の皆さんは、訳者の余談を待ちに待ったのではないかと思う。この第二章は、圧巻と縦横無尽の記述に満ちており、息を抜く暇もなかったろう。訳者を悩ます点もだから多い。
 マルクスは、周囲の経済学者の云う事を沢山とりあげている。そして批判している。間違いの原因を明らかにしている。だが、少し気を抜くと、とんでもない経済学者の云っていることをマルクスの考えと勘違いしたり、その批判とをごっちゃ混ぜにしたりすると、マルクスは適当に云うだけの単なる評論家になってしまう。申し訳ないが、当該の訳者にとっても、十分にそれらを明解にしたかと問われれば、読者の感覚をもって読み取ってくれよという他はない。

二点取り上げて置きたい。いずれも章末の部分だが、一つは、黄金と貨幣の部分。まずは訳者の訳。
 「全ての他の商品がそれらの価値をその中に表現しようとする結果として、黄金が貨幣となったのではない。逆であって、全ての他の商品が世界的に、それらの価値を黄金で表す、それが貨幣だからである。」明解な部分だが、ある本では、
 「商品は、他の諸商品が全面的にその価値を、それで表示するから、そのために貨幣となるのであるようには見えないで、諸商品は、逆に一商品が貨幣であるから、一般的にその価値をこれで表すように見える。」後者の不明確さは、金と貨幣の関係を把握し切れていないのではなく、社会的関係であるものを正確に表現できていないのである。見える・見えないがマルクスなのか、読者なのか、はたまたブルジョワ経済学者なのかを見失ったからである。社会的関係が薄まるとブルジョワ経済学者のごとき表現になりやすい。

もう一つは、最後の部分。一体まばゆいのは何故かというところである。訳者の訳は、
 「以後、貨幣の謎は、商品の謎となった。まさに、それは、今、最もまばゆいばかりの形式で、我々を撃つ。」である。
 ある本の訳は、
 「貨幣物神の謎は、商品物神の目に見えるようになった、眩惑的な謎であることに過ぎないのである。」
  商品と貨幣を論じて来て、第二章 交換 の最後の文字である。私は、いよいよ商品の圧倒的で、強烈で、目をそらしたくなるようなまぶしさが、押し寄せてくる感じで、反撃の意気を新たにしなければならないと気構える。彼のそれは、拍子抜けで、何の謎かも忘れさせる。大違いである。ドイツ語から英訳したサミエル・ムーアさんの奮迅の努力と感覚をありがたく思う。
 英文の本物感が、ドイツ語の和訳では薄い。訳の技術的な問題ではなく、透徹感である。
 期待はずれの余談だったが、少しは見る目が鋭くなっただろう。そして長くなった余談を含めて第二章を終わる。



[第二章 終り]